このブログで紹介している恵那山・落合コースは、2017年現在、指導標などは整備されておらず、「一般的な登山道」ではありません。

2017年6月24日土曜日

2017年6月23日 恵那山 落合道


2017年6月23日 恵那山 落合道

今日は、前宮ルートまで行くつもりであったけれど、一人で歩いていると、ついつい「思索の時間」が多くなってしまうのは悪い癖である。先週6月18日は標高1840mまでであったが、今日は、1970mまで。
桧太郎
そろそろ「笹がなくなる」地点に到達するはずなのだが、相変わらず激やぶだった。情報では、1970m辺りで笹が低くなるはずだけれど、まだまだ笹薮は続いていた。できる限り、以前のルートをたどりたいのだが、うっすらガスって、古い目印がなかなか見つからず手間取ったと言い訳にしておこう。ルートファインディングに右往左往し、ほとんど笹刈はできず。前宮ルートに到達まで直線距離400m標高差130m、

05:30に駐車場出発、12:50に1970m地点
13:00に撤収開始して、駐車場16:00


7合目 天狗原の標識 GPSでは1900mだった
天狗原はGoogle Mapで見当をつけると、木が少なくひらけている場所だったが、行ってみると笹の繁茂で、これでは天狗様も一息つけまい。

GPSの記録

Google Earthに貼り付けた軌跡
2017現在Google Earthにでてくる
恵那山一帯の画像は2015-16年と
思われる。








5合目上の庭園と6合目倒木の平の中間1588m付近にある植物が生えていない沢状の部分は何だろう?

次回探してみようと思う。
水が湧き出していたら最高なのだが

2017年6月21日水曜日

恵那山 登山道の変遷 1(黒井沢コース)

わたしが初めて恵那山を訪れた頃のガイドブック(1985年)を読み返してみると、
ほぼ掲載の内容通りの記憶だが,、当時、実際に行ってみて掲載内容と違っていたのは

”・・・黒井沢高原キャンプ場の開けたところに出る。バス路線の廃止にともない
  縮小されたキャンプ場は夏でも静かなものだ。”
この黒井沢のキャンプ場は、もう「営業」していなかった。当時は、黒井沢登山口のゲート前広場の手前に、廃墟となったロッジ風の建物がまだ残っていたが、「黒井沢高原」というリゾート風のネーミングとは裏腹に荒れ果てていた。また2017現在、ゲートから30分ほど歩いたところにある「掘っ立て小屋(黒井沢休憩所)」の少し手前に人為的な平地が
少し残っているが、あのあたりが、テントサイトだったようである。

”黒井沢山の家跡を過ぎ、ササに囲まれた道を行く。しばらくで今では廃道になった
  山腹を行く道を左に分けると小さな沢に回りこみ・・・・・”
 この、左に行く「山腹を行く道」は、記憶にない。
(この「左に行く山腹を行く道」が、深田久弥氏の登った道ではないかと思われる)

この2点である。


”稜線を北へたどれば神坂峠へ至るが、近年登る人も少なく道は荒れている”
 今(2017)では、平日に黒井沢を5時前に出発しても、山頂に着くころには
 神坂や広河原からの登山者が、もうすでに何人も居たりして、百名山ということで
 大変な人気(ひとけ)だが、1985当時、神坂から来た人に会ったことはなかった。
(そんなに頻繁に通っていたわけではないけれど)


・この1985年版では、文中には、神坂峠ルートの表記はあるけれど、この黒井沢ルートしか紹介されていない。”恵那山は、2189.8メートルの高さを誇りながら意外に人気がなく不遇をかこつ山である。かつては登山ルートも幾本か開かれていたが登る人も少なくそのほとんどが廃道と化している。” 手元にはこの85年版の他に、90年版、95年版があるが、90年版になると神坂からのルートが詳細に紹介されている。いずれにも、落合ルート、前宮ルート、広河原ルートの記載はない。2009年版(現行、2012年改訂)を立ち読みしてみたところ、黒井沢、神坂、広河原の紹介で、前宮は、地図に点線の記載はあるものの、ルート紹介はなされていたかった。

2017年6月19日月曜日

2017年6月18日 恵那山 落合道

2017年6月18日 恵那山 落合道

1850メートル付近まで。
朝、のそのそと準備をしていると、車2台4名の方が駐車場に到着。
登山準備して鎌をお持ちなので、もしかしてとお話してみると、
この落合道の手入れをされている、樋口さんと、麓の落合地区の方々であった。
これは千載一遇と、ご一緒してお手伝いさせていただいた。
ドウダンツツジ
前回行った「倒木の平」の先は、やはり激藪で、マーキングもかなり不明確になっていた。一人だったら、早々に退却していたかもしれなかった。

5年前(2012?)までは、上部もしっかりとした道だったが
登山道入り口手前の堰堤工事で、入りにくくなり、行かずにいたところ
もとの激藪になってしまったようである。

少しづつきれいに刈り進むよりも、まず、全体を通して、その後、少しずつ
刈り広げてゆくのがよいとのこと。

笹の下のわずかな踏み跡と、マーキングを探しながら、
また樋口さんの記憶をたどりながら、
尺取虫式にルートを選び、マーキングを行い進んでいった。
1850m付近で、13時。時間切れとなった。推定では、激藪中間地点。

皆様、おつかれさまでした。

・3合目大滝分岐の手前、右の、釜沢本谷に下りてゆく「顕著な分岐」は
堰堤工事の「土石流警戒装置」設置時の道らしい。

・先々週と比べて、ヌカカが多くなった。皮膚が出ている、顔は刺されないが、
手袋をはずした隙に、いつも手の甲を刺される。ハッカ油がよい様である。


2017年6月4日日曜日

2017年6月4日 恵那山 落合道

2017年6月4日 落合道 一年ぶりの落合道
去年(2016年)の今頃行われていた、堰堤工事ももう終わって、林道を奥まで入れるかと
期待したけれど、「別の工事」が始まっており、やはり40分の林道歩きをすることとなった。

登山口に到着してみると、去年は無かった指導標が設置されている。
「この辺り」は「オコン平」と言うらしい。
もう笹刈りもされて「登山道のひとつ」として整備されたのだろうかと期待してみる。
(事前のgoogle検索ではそのような情報は出てこなかった)
また道の状況からして、どなたかも笹刈をされているようであるが、
オコン平の指導標以外には新しいものはなく、笹の状況は昨年の印象とほぼ同じであった。

今日は、1700m「倒木の平」まで。
ここの看板が笹のなかに落ちているのを発見。
落ちていたので昨年気がつかなかったのかもしれない、
1500mの「上の庭園」を過ぎた辺りから、かなりしつこい笹藪となってくる。
笹というより、「竹」と言いたいくらいである。
鎌を振り回す腕が痛くなってきたので、刈るのは諦めて、道形がわかるように、へし折る作戦にしてみた。丈高の顔の前に被さってくる笹は完全に骨折するまでおりまげ、若芽は刈るという作戦。へし折りがどれだけ効果があるのかわからないが。
 しかし、あまりに密な藪になってくると、それさえももう諦めて掻き分けて進むだけになるのだが、いかんいかんと少し戻り、多少なりとも、「足跡」を残すべくジタバタしてみる。振り返って、ほんの少し道形がわかると少しほっとするのである。

そのような丈高の藪のひとつを通過した後、マダニが腕についていた。
昨年、前宮道で食いつかれて取れなくて、病院へ行く羽目になり、また、死亡率の高い
マダニ感染症が怖いので、もとより肌は出していないが、首などにつかれると厄介なのでカッパを着ることにした。

2015年に、ujtさんが付けられたと思われる、ピンクのテープはいくつか落っこちていたり
テープもかなり劣化しはじめていた。そんなこともあろうかと、テープを用意していったのだったが、車に置きっぱなし・・・・。

倒木の平ら付近を少し広めに笹刈して下る。

激藪地帯を仮に延長500mと仮定して、
一時間10メートルで作業4時間で、40メートル。10人工で400m
・・・・・・重機(草刈り機)の導入を真剣に考えてはじめている。
「上の庭園」で休んでいると、
柔らかく差し込む木漏れ日とさえずる鳥たち、頬をなでてゆく風・・・
「庭園」というには、まことにみすぼらしいけれど、
なににも代えがたいひと時である。
静寂を破るのは本意ではないが、エンジン音も高らかに笹薮を切り開き、
振り返るのは気持ちいいだろうな。