このブログで紹介している恵那山・落合コースは、2017年現在、指導標などは整備されておらず、「一般的な登山道」ではありません。

2016年5月30日月曜日

1980年代(後半)の恵那山に関する記憶

1980年代(後半)の恵那山に関する記憶


私が、恵那山に行くようになったのは、1980年代後半の事だったと記憶している。
初めて行ったときに、ちょうど野熊の池の避難小屋が建設中だった。


・川上集落には、天然のアイススケート場(発電所近く、川を渡ったところ)があり、
冬季に滑っている人を見かけた。
・現ウェストン公園付近に「桜ケ淵キャンプ場」という小さなキャンプ場があった。
・黒井沢林道は、舗装されていなかった。
・現黒井沢登山道入り口の小屋(2016年現存)はあった。
・登山道入口ゲートから30分くらいのところにある、小屋(黒井沢休憩所2016年現存)もあった。

・林道を黒井沢登山へ行かず、さらに直進していくと「朽ちた別荘?」のような建物が
残っていた。そのあたりは道が舗装されており、街灯が2,3立っていた(点灯しない)

・2016年現在、オフロードコースになっているところには、「スキー場」の看板が
まだ残っていたような気がする。

・黒井沢登山口手前で、林道を左に上がっていくと、「朽ちたヒュッテ?」のような
建物が残っていた。

・頂上避難小屋(2016年現存)は、あった。

・登山道は黒井沢道と神坂道の2本がガイドブックに記載されていただけである。
正ケ根林道を車であがって行ったとき、地元の老人がショットガンで、熊を撃ちに
きていた。そのとき、前宮道があったという話しをきいた。


あの頃は、いつもカメラなど持たずに歩いていたので、写真はない。


さらに「昔」は登山道入口ゲートから30分くらいのところにある、小屋のあたりまで
乗り合いバスが入っていたようである。
その小屋の少し手前、樹間の平坦は、キャンプ場だったようである。






・「冬」に会った、初老の方
寒かったのと、その方が、ピッケルをもっていらしたので、冬だったと思うのだが
その方は、黒井沢林道途中にあった(たぶん今はないと思う)造林用の掘っ立て小屋に
泊まられたということだった。私は、買ったばかりのテントとシュラフで、
ヌクヌクとしたわけだが、その方はシュラフも持っておられないようで、
若いのにヤワな自分が恥ずかしかった。その方の穏やかな笑顔が忘れられない。

・「夏」に会った、同年代の方
黒井沢道で、下山時に、抜きつ抜かれつした。
黒井沢休憩所の辺りで、少し話し、名前も聞かぬまま「またどこかで会いましょう」と言って
別れた。それから20年、会っていないけれど・・・今頃どうしているのだろうか。

・野熊避難小屋の思い出。
晩秋、野熊避難小屋で寝ていた。夜中に目が覚めて、天井を見つめていると
天井がなにやら、人工的な明かりでチラチラする。起き上がって、窓の外を見ると
ヘッドランプが2つあがってくる。当時は、夜中に登山する人がいるなどと考えもしなかったので
犯罪者が追っ手を逃れて山に逃げてきたのかと思い、急いでシュラフにもぐりこんで
タヌキ寝入りをしていたら、その方たちは小屋にやってきた。
起きて話をしてみると、その方たちは、中津川の警察の方で、翌日の遭難救助訓練のために
日勤を終えてから、上がってきたということだった。これから、山頂の避難小屋まで行くと
言われるので、急いで荷物をたたんで、同行させてもらうことにした。
真っ暗な夜の山は、今でも怖いと思うが、やはり怖かった。
黒井沢道の1992ピークのあたりで、「昔」遭難があって
テントだけ発見されて遺体がでなかったということがあったそうである。

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